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【大山捨松という女性】新五千円札の顔、津田梅子の盟友 

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5千円札の新デザインで話題となっている津田梅子。
会津には津田梅子の盟友と呼ばれた大山捨松という女性がいます。
今日はそんな大山捨松について紹介します。

大山捨松は幕末に生まれ、明治期に活躍した

会津藩の国家老だった山川家に生まれ、兄弟には東京帝大総長を歴任する山川健次郎や戊辰戦争で活躍した山川浩がいます。
戊辰戦争当時、捨松は幼年でしたが、「八重の桜」で新島八重と一緒に籠城する姿が描かれているので、それでご記憶の方もいらっしゃるのではないでしょうか。

大山捨松と津田梅子の関係

さて、そんな大山捨松ですが、津田梅子とどんな関係にあったかというと、幼少期に一緒にアメリカに留学した仲間なんです。二人は日本で最初の女子留学生として、岩倉具視率いる岩倉使節団の一員としてアメリカに渡り、当時の先進的な女子教育を受ける機会を得ました。
捨松はアメリカで大学に進学し、成績優秀者として卒業していきます。その後、足掛け12年に及ぶ留学を終え、1882年に帰国しました。
1900年、津田梅子が女子英学塾(後の津田塾大学)を設立した時には積極的に支援するなど、二人はアメリカで受けた女子教育を日本で広めるために活躍しました。

捨松という奇妙な名前

大山捨松、幼名は山川さきといいます。それがなぜ捨松という奇妙な名前になったかと言うと・・。
幼少期にアメリカに留学する際に、母親が「捨てたつもりで待つ」と送り出したのが改名したきっかけとか。10年以上を予定していた留学計画、明治初期に遠い異国に娘を送り出した母親の壮絶な決意が感じられるエピソードです。

夫は大山巌

大山捨松、夫は陸軍大将を務めた大山巌です。大山巌は薩摩出身で、西郷隆盛のイトコでもあります。戊辰戦争では薩摩と会津は敵味方で戦った相手、それも相手はその中心にいた人物とあっては、当然、周囲の反応はおもわしくなかったようです。しかし、アメリカ気質の強かった巌と留学経験のある捨松は強くひかれあったとか。
当時、貴族や政府高官の社交場の場として有名だった鹿鳴館で、捨松はアメリカ仕込みの社交ダンスや振る舞いを披露。一躍、注目の的となって「鹿鳴館の華」と呼ばれていました。
ここで面白いエピソードが一つ。薩摩と会津はそれぞれ方言や訛りの強い地域。当初、日本語では意思の疎通難しかっため、二人は英語で会話をし、距離を縮めていったというエピソードが残されています。江戸期の地方文化と明治期の近代化していく文化が混ざり合う、時代の過渡期の雰囲気が感じられるエピソードではないでしょうか。

会津若松市にある捨松の生家跡

捨松が育った生家跡、現在は駐車場となっていますが、市によって記念の看板が建てられています。代々家老職だっただけあり、鶴ヶ城北出丸のほど近くという好立地な場所。現在では宮泉酒造の駐車場の向かいあたりです。
ぜひ、観光の際は散策ついでにご覧になられてはいかがでしょうか。

明治期に活躍した会津の人には激動の人生を生きた人物がたくさんいます。以前、紹介した柴五郎なんかもその一人。

【ある明治人の記録】明治の会津人、柴五郎のこと


このブログでは、今後もそんな方を紹介していきたいと思います。
参考:会津の人物シリーズ「大山捨松」会津若松観光公社

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